言葉の災い

「もう人生ボロボロだ」って言葉をいつも口にしていた。そう吐く度、周りの人に必ず口を揃えて同じことを言う、「まだ若いから」と。けどその言葉はいかにも重たく、刃のようにいつも刺さってくれた事を見せようとしなかった。

この時代に生を授かったから、そして小学校、中学校、又は高校。ケツの青いガキ頃から大人に成長した間、後戻りできない数えきれないことで悔しさを伴った劣等感と絶望感に覆い尽くされていた時間は一難去ってまた一難のよう、人生を拷問し続けた。

烏滸がましいのは耐れる人はそのまま自分なりの経験にして生き続けて、知らないうちに他人の不幸にも関わらず「まだ若いからだ」と、火種に油を注ぎ続ける。

その一方、耐えられない人は現実に犯されづつ、他人に揶揄されづづ、更なる日常にはない暗闇の底に落とされていく。

部屋中には散乱するの缶ビールの空き缶は日に日酔いつぶれている象徴、机の上は蓋も閉めてないのペペローションと使用済みのコンドームと未開封の0.01たち、そう、耐えられない側だったの人間として世間の理不尽から解放しようともなく、そのまま暗闇に沈んで、お酒と性、現実逃避のために快楽に身を委ねた。

学校も不登校、出会い系アプリで良さそうな人を選び、家に連れ込み、心身共にボロボロの魂を安心感のある相手に任せて、好きなように支配してもらい、んなような日に日を重ねる共に相手も様々、二十代から四十代、白人もラテン系も。

世には奇妙なこともある、そんな一夜限りの相手の中には、手を伸ばしてくれて、抜け出そうとしてくれた人も居た、今になっても本当に命を立とうとしてる時、いつも人より先に気付いて相談に乗ってくれる相手になってくれて、一般の人のように「また若いから」なども簡単に言わないで二度と暗闇に堕ちないようにそばに居てくれて、ありがたいなと思う。

人生って、生き方十人十色で必ずしも一人一人が同じのようなペースで経験をしてるわけではない。何十年かん人生経験を積んだ人もいるなり、若い時から早めに社会に出て、二十代のうちにすでに前者と同じような経験を体験した人がいないとは断言できるわけもない。ひょっとしたら平凡人生を送った前者より劣った環境で育てられ、生きることに何十倍も苦労をしたかもしれない。

当事者ではないから、自らの若い頃を基準にし、「まだ若いから」って言葉を無責任に口に出すのはお門違いで不適切である。

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